平和を祈るイベントが始まりだった
本当の『母の日』って

2003/05/11

 

 今日は『母の日』についてお話したいと思います。

 早速ですが みなさん 母の日の起源(由来)ってご存知ですか?
 まずは一般的に伝えられているものから、ちょいとさわりだけ...
 

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 今から約100年前の1908年5月10日、アメリカのウェストバージニア州に住むアンナという少女は、母の命日に追悼式を開き、そこで母が大好きだった白いカーネーションを参加者一人ひとりに手渡した、というのが始まりです。

 彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を亡くし、残された娘二人(そのうち一人は盲目だった)を一人で育て上げました。

 アンナは母を想い、その後、母に感謝する日を祝日にすることを訴え続け、1910年ウェストバージニア州がはじめて「母の日」を祝日として認定。そして1914年には、とうとう国の祝日として認められたのでした。(日本では1923年から始まりました)

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 これが一般に知られている母の日の始まりです。母の家族への献身と子供の親への感謝…。おぉ なんと美しいお話でしょう!


 ところが!!


 この「一般的に伝えられている」母の日の起源は、物語の半分しか語っていません。そればかりか、アンナが目指した本当の願いを覆い隠してしまっているのです。

 毎年、母親に感謝してカーネーションを贈りましょうという文化がまかりとおっているけれど、本当はそんな安っぽいものじゃないんですよ。

 どういうことなのでしょう??

 先に結論から言ってしまいましょう!


 ★母の日は、平和を願う母親たちの社会運動を記念したことが始まり!★


▼もともとは『平和のための母の日』


 それでは、もう一度過去にさかのぼってみましょう。忘れ去られた本当の母の日の起源を求めて…。

 アンナ(Anna Maria Reeves Jarvis)の母ミセス・ジャービス(Ann Marie Reeves Jarvis)は、1852年、ウェストバージニア州グラフテンの小さな教会の牧師の夫と結婚しました。

 彼女は素晴らしい社会活動家でした。1858年に「母の日仕事クラブ(Mothers' Day Work Club)」を結成し、病気で苦しんでいる人たちを助けるために募金活動をしたり、病気予防のため牛乳や食品の検査など、公衆衛生のための活動をしていました。

 南北戦争(1861〜65年)が始まると、「母の日仕事クラブ」は中立を宣言して、南北双方の傷ついた兵士の看病をしました。戦争も終わりに近づいた頃、彼女は戦争で傷ついた人々の心を癒そうと、今度は「母の友情の日(Mother's Friendship Day)」を企画。 政治に関係なく南北双方の兵士や地域の人たちを招き、お互いに敵意を持つことを止めさせようとの狙いがあったこのイベントは、大混乱の恐れがあったにもかかわらず、大成功をお
 さめました。

 「残された娘二人」と冒頭に書きましたが、実は彼女は戦争や病気で8人も子供を失っています。それにもかかわらず、母としての愛情を、自分の子供のみならず、すべての人々に注いだのでした。

 さて、ミセス・ジャービスの影響があったかはわかりませんが、南北戦争後の1872年、南北戦争の戦記を書いたジュリア・ワード・ホーウ女史(Julia Ward Howe)は、平和を祈り、「平和のための母の日(Mother's Day for Peace)」として毎年一度イベントを開こうと提唱しました。

 これは現在の『母の日』の原型ともいえるものです。ホーウ女史は宣言文の中でこう述べています:



  私たちの夫は、虐殺の血の臭いに満ちて帰って来るべきではない。

  私たちの子供は、今まで私たちが教えてきた慈悲、寛容、忍耐を忘れるために、戦争に連れて行かれるべきではない。

  私たち、この国の母親は、どこまで優しくなっていくのでしょう。

  自分たちの子供が、相手の国の母親の子供を殺すのをだまって見過ごすほどに優しくなってしまうのでしょうか。



 女性は社会的弱者といわれる一方、19世紀から、(中流階級の)アメリカの女性は社会の改革に大きな貢献をしてきました。奴隷制度の廃止のために主導的な役割を果たしたのは女性でした。その後も、暴力、女性労働者の環境改善、子供の保護、公衆衛生、貧しい人たちへの社会保障などの問題について政治的な圧力をかけてきました。「母親」と「社会正義」は、大きな結びつきがあるです。

 その後30年の間、国民の祝日でこそありませんでしたが、毎年6月2日の「平和のための母の日」には、社会運動としてさまざまなイベントが各地で行われてきました。

 こういった流れがあったからこそ、ミセス・ジャービスの追悼式は社会的な注目を浴びたのでした。アンナは母親だけではなく、すべての母親の社会に対する貢献を讃えて、祝日として『母の日』をつくることを求め続けたのでした。そして願いは叶ったのです。


▼商業主義によって歪曲された美しい理念


 そんな素晴らしい理念を持って1914年から国の祝日として始まった『母の日』でしたが、その理念は消費文化の中で歪曲されてしまいました。

 政治家とビジネスマンにとって『母の日』は絶好の「チャンス」でした。

 (男性中心の)政治家たちは、平和を祈るはずの『母の日』を「家族のために捧げてくれている母親に感謝しましょう」というアイデアにすり替えてしまいました。ビジネスにとっても、平和への祈りより「母へのプレゼント」の方が消費を刺激し、儲かるので好都合でした。

 当時の『Florists' Review』という花業界の雑誌には、大胆にも"This was a holiday that could be exploited.(この祝日は利用できる)」と書かれています。そうして、町では「母の日のプレゼントには、花を贈りましょう」という広告があふれたのでした。

 アンナの思いとは裏腹に『母の日』の行事は年々盛大になっていきました。

 そんな折、ある「事件」が起きました。1923年の母の日フェスティバル。アンナはそこで母のシンボルだった白いカーネーションが一本1ドルという当時では信じられないほど高値で売られているのを目にしました。アンナはそれを見て激怒し、「貪欲のために母の日を侮辱している」──と、とうとう行事差し止めの裁判を起こしたのです。

 しかしアンナは裁判に負けてしまいます。事件以来、彼女は世間から皮肉屋として白い目で見られるようになってしまいました。『Florists' Review』誌は裁判後、"Miss Jarvis was completely squelched"(ミス・ジャービス(アンナのこと)を完全にやりこめた)と勝利宣言をしています。この後、『母の日』の商業化がますます加速していったのは言うまでもありません。


 死ぬ間際に、アンナは記者にこう短く告げました:



  「私は、自分が創ったこの祝日の商業化を自分の手で止めさせることによってお母さんの恩に報いたかった」



▼『母の日』の理念をもう一度


 ということで、『母の日』がただ単に「おかあさん ありがとう」というものではないことがわかっていただけたでしょうか。

 母親を個人的に慕うだけでなく、社会的に保護・支援していくことを考えるのが大切なのではないでしょうか。

 たとえば、日本でも女性は結婚・出産後、会社を辞めてしまうケースがまだまだ多いようです。今日のニュースで掲載されていたある調査では、未婚女性の多くは結婚・出産後も仕事の継続を望んでいるという結果が出ました。「全国の働いている未婚女性のうち、82・7%が結婚を希望し、結婚を希望しない人も含め、85・5%が結婚後も仕事を続けるべきだと考えている」とありました。

 こうしたことを考慮すれば、日本について言えば、『母の日』には、男女共働き、子育ての支援、就職支援、ヘルスケア、産休の間の給料と復帰後のポジションの保証などについての話題も、もっと語られる必要があるのではないでしょうか。

 もしくは、本来の起源に立ち戻り、平和活動をこの日に行ってもよいのではないでしょうか。実際、アメリカでは1980年代から、母の日に核廃絶を訴えてイベントをするなどの平和活動団体もあります。

 今日私たちが直面している一番の脅威は、核ミサイルではなく、他国への無関心─他国の文化・歴史、貧困、公衆衛生への無関心、そして「母なる大地」の破壊に対する無関心─なのです。

 もう一度『母の日』について考えてみませんか。




 最後に、もしかしたら、こんなことを書いていると、「ひねくれてる」「侮辱している」なんて思う方もいるかもしれません。でも、ぼくは別に、純粋に母親を想い感謝するという今日の『母の日』の祝い方を否定しようとしているわけではありません。それにもっとプラスして何かを考えてみよう、ということです。19世紀の人々は、この日、母への感謝する気持ちに加え、社会活動をも同時に行っていたのです。昔の人にできて今の人にできないことはないと思うのです。


 こんなのを読んだらもうカーネーション買えないよ〜〜(泣)、という心あるあなたに朗報です ^0^/

 内戦と貧困に苦しむコロンビアは、カーネーション生産量世界一。日本が輸入するカーネーションの8割以上もコロンビアから来ているそうです。今まで反政府軍の資金源となっている麻薬の原料としてケシを育てていた貧しい農家が、カーネーションを植え始めたというケースもあるそうです。ということで、カーネーションを買う人は、コロンビア産を選んで、コロンビアの平和と貧困に貢献しようっていうのもいいかもしれませんね ^-^。

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